不耕起栽培はじめました

不耕起栽培はじめました

あっという間に秋の気配、畑にも彼岸花がチラホラ咲き始めました。

9月になると考えるのは台風のこと。台風で家の屋根が飛ばされてからもう二年経ったんだなって。まだ二年と言ってもいいかもしれない。被災して以来各地で災害が起きるたびにまた我が身かと思うようになり気が気ではないし。災害のような病気も蔓延しているし。起こること起こることが濃厚過ぎて時間の感覚が狂ってきている感じがします。

台風被災からコロナにつながって、身のまわりに色々な変化があって、考えさせられることも多くありました。そのなかでも二つのことが心にひっかかり、不耕起栽培にチャレンジしたいと思うようになりました。

 

まず思ったのは家は壊れたら巨大なゴミなんだなってこと。この二年間で台風被害をうけた家の解体がどんどん進みました。我が家の蔵もそうですが、方々で家の解体を目にしてきましたし、実際に解体作業も経験しました。家は建てられた年代によっても建築資材に大きく違いがあります。昔々の家は、うちの蔵もそうでしたが基本は天然素材、分別すると、木と竹と粘土と石と瓦で出来ています。瓦と基礎石以外がそのままでも朽ちて自然に還ります。一方で現代建築の家の多くは合成素材、化学素材なので分別が大変です。たいへんな思いをして分別したゴミもどこまでが再利用されるのかと考えると、モノを作る時は最終的に壊れた時のことを考えないといけないなと思いました。

もう一つは、風や塩害、雨によって、木が倒れたり、枯れたり、土地が流されたりするのを目にしたこと。はじめは台風の威力を物語る結果だと思っていましたが、よく考えるとどうもそれだけではないという事を知りました。館山の観光名所の一つである沖ノ島の台風被害からの再生を指導されているNPO法人地球守代表の高田宏臣さんの著書「土中環境」にも書かれていますが、自然には目に見えるものだけでなく、土中(地中)の環境を健全化する必要性があると改めて知りました。身のまわりの環境を正しく手入れすれば、災害の被害を最小限に抑えたり、被害をなくすことも可能になるかもしれないということ。目に見える表側を綺麗にすることに意識をそがれて、目に見えない裏側を考えることを忘れてはいけないという強いメッセージですね。

 

東日本大震災の時もそうでしたが、なにか大きな変化、ゆさぶりを受けることが、自分の中で考え方を見直すきっかけになったような気がします。

 

本題にもどって不耕起栽培のことを書きます。

まずはほとんどの人が聞き馴染みがないと思う「不耕起栽培」について、文字どおり不耕起=耕さない、のが特徴ですが、耕さないことで何が起こるのか。考えたことない人も多いかもしれませんが、土のなかはミミズやダンゴムシや微生物の住まいの場です。耕さないことはそんな小さな生き物が住みやすくなり、その生き物が草を食べ、排泄をすることで土壌が豊かになると言われています。人為的に土をほぐして肥料を添加しないかわりに、住み着く生き物の力を借りるという考え方の農法になります。

我が家ではもともと無農薬無化学肥料での野菜づくりを続けて来ていましたが、まったく肥料と使わないわけではなく、牛糞や鶏糞といった動物性堆肥を耕うんした土に施して野菜の生育を促していました。そして雑草防止のためのビニールマルチ、害虫除けの寒冷紗といった資材を使っていました。これはいわゆる一般的な有機栽培です。農薬を使わず身体に優しいイメージの有機栽培ですが、今思えば少なからずその場の生き物に負担をかけてしまったのかなと思います。

しかし、今回動物性堆肥、耕うん、ビニールマルチの三つをやめて、畑づくりをしていくことにチャレンジしてみようと思っています。この三つをやめたことで大きくかわるのは、石油系の資材に過度に頼らなくすること、すでに書いたように土中(地中)の生物の環境を守ること、です。これによって雑草を敵にせず、虫と友好関係を結んでいきたいと考えています。作物の生育スピードや収量にはマイナスになる変化ですが、それ以上に我が家を利用してくれるお客様や、なによりうちの子供たちにとって居心地のよい楽しい場に変わるといいなと思っています。

雑草マルチの間から、大根と人参の芽がたくましく発芽してくれました。

 

不耕起栽培のことは、また今後レポートしていきます。張りきり過ぎてココロが折れないように、いい加減でやっていきたいと思います。

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